このページでは沢木さんがお住まいの鎌倉の街の四季折々の様子を当サイト管理人が紹介します。
鎌倉便り2000.10〜2001.9
鎌倉便り2001.10〜2002.5 鎌倉便り2002.6〜2003.5     鎌倉便り2005.1〜
 
2004.12.18 年の瀬に
鎌倉コンサートvol.4“12月の部”から2週間が経ちました。
コンサートの頃は、季節は晩秋で山の紅葉が見頃になっていました。ちょうど気温の高い日が続き、いったい冬になるのかしらと心配になってしまうような陽気でしたが、それから2週間で季節はあっという間に初冬に切り替わってしまったようです。
もちろん北国のように空から白い訪問者が降りてくるわけでもなく、山にはまだ紅葉が残ってはいるのですが、そとを歩くと確かに冬の匂いがするようになりました。
今年も残り少なくなり、何かと忙しない日々の間に、先週末、久しぶりに北鎌倉を歩きました。
その前の週までは人も車も溢れんばかりだったのに、師走を迎えて道行く人も少なくなった道を、早々と傾きかけた太陽に急かされるように巨福呂坂を下り、円覚寺へ向かいました。
ちなみに、先日の鎌倉ケーブルテレビの番組の中で、沢木さんは、鎌倉で一番好きな場所は円覚寺だと仰っていました。
静かな境内には凛とした空気が漂い、新しい年を迎える準備を粛々と進めているように思われました。陽が傾き、いっときオレンジ色に満たされた境内を歩いていると、とても穏やかな気持ちになりました。
暗い出来事が多かった2004年もあと2週間を残すばかり。新しい年が希望に満ちたものであることを祈ります。
12月の鎌倉コンサートの写真を少しですがご紹介します。“1月の部”終了後、正式なレポートを出す予定です。
山門からのぞく紅葉が絵のようです
石段を掃き清める修行僧。凛とした気配が漂っていました
   
鎌倉コンサートvol.4 12月4日、5日の様子です。詳細は後日のお楽しみ
 
2004.7.11 梅雨空は?
今年の関東地方は梅雨だというのに雨が少なく、早くも訪れた夏の暑さに少々体がついていかないような気分です。
先々週の週末までは鎌倉のあちこちのお寺に紫陽花が咲き、多くの人の眼を楽しませてくれていました。観光客の受け入れに積極的な長谷寺では、二年ほど前から「紫陽花散策路」が整備され、人気を呼んでいました。鎌倉で紫陽花のシーズンに「行列ができるお寺」と言えばまず明月院が挙げられましたが、今年の長谷寺の人出は明月院を上回っていたかも知れません。紫陽花散策路は本堂裏の斜面に造られていますが、週末は写真のように本堂の周りに入場待ちの行列が長く伸びていきます。この日は「一時間待ち」と言われて断念しました。
ところが紫陽花のシーズンが終わった先週末には、街路の人通りが半分以下になってしまいました。本当にあっという間の出来事で、たった一週間で様変わりしたまちの様子がとても面白く、「もう海の季節だね」などと言いながら、足は自然に浜辺に向いてしまうのでした。
ちなみに鎌倉の海開きは6月28日。例年、梅雨空の下で寂しく行われることが多いようですが、今年は夏の日射しのもと、海開きらしいものになったようです。
海開きから2週間が過ぎたとはいえ、海が本格的に賑わうのはもう少し後のこと。海の家のなかには、外装が未完成のまま営業を始めているところもあり、お客も少なめです。砂浜もまだまだ余裕があり、のんびりした雰囲気。これくらい空いていれば、寛いで浜辺の時間が過ごせそうです。
今年は見事に花が咲いた成就院の紫陽花

「紫陽花散策路」入場待ちの行列は写真左の方から右へディズニーランドのように折れ曲がりながら伸び、その先は本堂(写真中央)の裏手へと続いています。一時間待ちと言われ、断念しました。

参拝客で溢れる長谷寺の境内
屋根の上の看板が未完成<まだ柱だけ>な海の家(由比が浜海岸にて)
まだ余裕のある浜辺 のんびりと時間を過ごしたいもの
 
2004.5.19 薫風散策

5月に入り、爽やかな風の吹く日が多くなりました。
久しぶりに北鎌倉まで歩きました。鎌倉駅から小町通りを歩き、鶴岡八幡宮の脇を通って、お馴染みの歐林洞の前を過ぎ、坂をゆっくり歩いて北鎌倉まで下りました。
北鎌倉駅を過ぎて5分ほど歩き、小坂郵便局の先で左に折れ、坂道を上ると光照寺があります。光照寺の山門は別名「くるす門」と呼ばれています。
「くるす門」は元々は近くの台地の上にあった東渓院というお寺にあったものですが、明治初めの廃仏毀釈で廃寺となり、仏像などとともに光照寺に移築されたものです。
東渓院は、九州豊後の大名だった中川氏が保護した寺で、この山門の欄間には中川家の家紋「中川久留子」(別名車紋、車という字に十字架が隠されている)が掲げてあり、「くるす門」と呼ばれています。中川氏はもとは大阪・茨木の城主であり、戦国武将として知られた中川清秀は、キリシタン大名として有名な高槻城主・高山右近とも親しく、自身も熱心なキリシタンであったと言われています。
江戸時代初期、禁教令が敷かれたころ、弾圧の厳しかった江戸を逃れ、親戚を頼って小袋谷村(現在の北鎌倉付近)などにキリシタンが移り住むようになりました。
多くのキリシタンはその後捕えられ、江戸に送られて処刑されたため、棄教したいわゆる転びキリシタン以外にキリシタンは鎌倉からいなくなったことになっています。ところが、隠れキリシタンのものといわれる燭台が現在も光照寺本堂に保管されていることもあり、信仰を守り通した隠れキリシタンが鎌倉にもおり、一方、幕府の命により宗門を監視すべき寺院の側も実際は黙認していたとも考えられるのです。

くるす門をくぐるとすぐ右に、子育地蔵が立っています。昔から子を育てる母親たちの信仰を集め、台座にはたぶん江戸時代のものと思われる「長兵衛の母」などの刻印が多数彫られています。いつの世も変わらぬ親の愛情を感じます。

さて、光照寺まえの坂道を少し上っていくと、斜面に張り出すように建てられた一風変わった造りのギャラリー喫茶「NEST」があります。
この店のベランダからは北鎌倉の谷戸が一望出来ます。その風景を眺めながら小津安二郎監督の「東京物語」に描かれた北鎌倉の景色を想いました。
小津監督の時代と、建物は変わり、畑が住宅地に変わっても、谷戸の緑と静けさはそんなに変わっていないようにも思えます。
もっとも、残念なことにベランダの正面に見える鬱蒼とした緑に囲まれたオレンジ色の屋根の洋館は近いうちに5階建てのマンションに変わってしまうそうです。その洋館の広い庭と大木は、東京方面から電車が北鎌倉駅に入る手前で乗客の眼に飛び込んで来て、見る人に「鎌倉に入った」ことを実感させる風景でした。反対運動はありましたが、結局、線路沿いの大木は残してマンション建設は決まりました。NESTのオーナーは「一軒の家が無くなることで景色が全く変わってしまうでしょうね」と残念そうに話して下さいました。

ところで、NESTではランチを3種類の中から選ぶことが出来ます。オーナーの心の温かさを感じるような手作りの味が楽しめる充実したランチです。谷戸の風に吹かれながら、ゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。

光照寺くるす門に掲げられた「中川久留子」
十字架状の支柱が見えます
子育て地蔵の台座 奉納した母親たちの思いが伝わります
後ろの石仏には元禄7年の文字が見えます
ギャラリーカフェ「NEST」
NESTから眺める北鎌倉の風景 小津監督の「東京物語」にはこのあたりから撮影した景色が登場します
家並みは変わっても町の持つ空気のようなものは変わっていないと思います

線路右側の森のように見える緑は、実は洋館の庭の木々 この木々のすぐ背後にマンションが建ちます
線路の先には北鎌倉駅が見える、鎌倉観光の玄関口です

 
2004.3.28 春の海

年末からの忙しさに、パソコンの故障が重なって、季節をずいぶん通り過ぎてしまいました。
再開する気持ちでまた書き始めようと思っています。よろしくお願いします。

気温が低く、ぐずついた空模様が続いた一週間の後に久しぶりの日射しと春らしい暖かさが戻ってきました。
散歩の足が、しばらく遠のいていた海岸方向に自然と向いてしまいました。

いつもの浜辺へ降りると、大きなブルドーザが置いてあるのが目に入りました。砂浜を整備するためのものでしょう。
近年日本のあちこちで海岸線が後退していることは広く知られています。原因は、洪水や土砂災害を防ぐために河川の上流域に造られた砂防ダムによって、海に流れ込む土砂が減少した結果、沿岸流の作用で海岸に堆積する砂の量よりも流失する砂の量が多くなってしまったことなのですが、それはここ鎌倉でも悩みの種です。
砂浜が減少し続けたために、去年の夏には市内の稲村ケ崎海水浴場が閉鎖されました。
映画「稲村ジェーン」の舞台にもなった、あの稲村ケ崎にある海水浴場です。
ここ由比ケ浜海岸は毎年春になると、大量の砂を外から補給して砂浜の後退を防ぎながら運営されているのです。こんな見えない努力で“海水浴発祥の地”由比ケ浜海水浴場は守られています。

この暖かさで東京や横浜では桜が一気に開花したようです。今日あたりは満開だったのでしょう。
鎌倉は少し遅く、若宮大路・段葛の桜はまだ咲き始めたばかりで、期待して訪れた方には肩すかしだったかも知れません。
鎌倉の桜の名所のひとつ、鎌倉山に住んでいた知人夫婦が、東京の向島に引っ越しました。やはり桜の名所、隅田川の近くです。昨日は電話口から「明日には満開じゃないかしら」と弾んだ声が聞こえました。住まいも仕事も変わり、4月から新しい生活が始まるとのこと。
4月になれば全国のあちこちで新しい生活をスタートさせる人が大勢いらっしゃることでしょう。
新しい生活が希望に満ちたものでありますように。

 

 

 ちょっと場違い?海岸のブルドーザ

 

 

 

 
2003.10.31 「山の音」

長谷にある甘縄神明宮の鳥居の向かって左側の少し奥まったところに、文豪・川端康成が戦後ずっと暮らしていた家があります(非公開)。
川端康成氏が昭和20年代に書いた傑作「山の音」は鎌倉を舞台にしていますが、その主人公一家の住む家の描写を読むと、その家は川端康成氏自身の家をモデルにしていることに気がつきます。

『・・・信吾の家の裏山は神社のところで切れている。その小山の端をひらいて、神社の境内になっている。公孫樹はその境内に立っているのだが、信吾の家の茶の間からは、山の木のように見える。』
『大通りから小路に折れると、信吾はその公孫樹に向かって帰るわけなので、毎日眺めていた。茶の間からも見ていた。「公孫樹はやはり、桜よりも強いところがあるんだね。長生きする木は違うのかと思ってみているんだ。」と信吾は言った。』・・・

小説の中に描かれているように、甘縄神明宮の境内にはイチョウの大木が立っています。しかしながらこのイチョウの木は、一昨年、長く伸びた枝が危険ということになり丸太のようになるまで枝払いをしたため、こぢんまりとしてしまいました。素人眼にはそのまま枯れてしまうのではと心配になるほどの枝払いでしたが、びくともせず健在です。本当に強い生命力を感じます。
さて、この主人公は東京へ通う勤め人ですが、鎌倉駅から歩いて帰宅途中に魚屋や八百屋に立ち寄り店主と雑談し、買い求めた魚を夕食に料理する描写があるなど、今よりゆったりとした生活ぶりが伺えます。
もちろん、小説の主題は老境にかかった(と言ってもまだ62歳です)主人公と家族の心理的な葛藤にあるのですが、主人公の暮らしぶりや感情を仔細に描いている分、その時代の鎌倉の空気までが感じられるように思え、街の描写に至るまで念入りに読んでしまいます。
公孫樹の生命力の話も含め、主人公は日々の暮らしの色々な場面で“死”を意識します。50年前の鎌倉は、今よりずっと静かで陰影に満ちていて、この小説に描かれた「日本古来の悲しみ」に相応しい舞台だったのでしょうか。

消防署の角を曲がり甘縄神明宮へ向かう小道を、かつて川端康成氏も毎日のように歩き、同じように山の景色を眺め近所のお店で雑談をしていたのかしらと想像するだけで、世界的作家が何か身近に感じられてきます。

 

甘縄神明宮に隣接する川端記念館(非公開)

川端邸の庭と収蔵庫(写真右)

(上)『大通りから小路へ折れると信吾はその公孫樹に向かって帰るわけなので、毎日眺めていた。』・・・今は住宅の陰になり、見えにくくなっていますが、昔はよく見えたことでしょう。甘縄神明宮の春の写真です。

(右)再び枝を張り、葉を茂らせた境内の公孫樹。
    なんと強い生命力。

 
2003.8.31 夏の終わり

8月に入り低温が続き、夏らしい暑い日が少なかった今年の夏も、もう終わり。
開け放った窓から見る南の夜空には6万年ぶりという大きな火星が赤い光を輝かせ、涼しい夜風が部屋を抜けていくようになりました。
昼間は蝉の声が盛んに響いていても、夜になると秋の虫の声が取って代わり、季節が確実に秋に向かっていることを音でも感じさせてくれます。

低温と雨に祟られた湘南の夏は、8月になっても海へ向かう人波が少ない日が多く、浜辺は閑散とした日が続いたようです。
幸い12日の鎌倉花火の日は天気も良く、昼頃から多くの人が海岸へと向かい、夕方7時には材木座から坂ノ下まで人波で埋まりました。今年のフィナーレの水中花火は特に盛大で、いつもなら花火を見つめながらゆく夏を惜しむ気持ちを強く感じるのですが、今年はこれから天候が回復し、浜辺が賑わうのを祈るような気持ちでした。
残念ながら、そんな期待を裏切る夏休みの空模様になってしまいました。

海の家が営業を終えるのは毎年8月31日。今年は日曜日でした。前日に引き続いて天候は晴れ。気温もかなり上昇したので、浜辺は最後の賑わいを見せていたことでしょう。
そんな今年の夏の海岸の一コマです。

夏休みに入って始めての夏らしい暑さになった日曜日。太陽と涼を求めて鎌倉の海岸にも多くの人が訪れました。(8/3)

 

8月に入り、やっと夏らしい暑さになった日曜日。どっと繰り出した人で海岸は大賑わい。無料シャワーの前には長蛇の列が出来ていました(8/3) 夏も終わりに近づいてやっと戻ってきた夏らしい暑さ。サルサパーティにロックライブと、思い思いのかたちでゆく夏を惜しむ人たちで、ビーチは大盛り上がりでした。(8/23)
 
2003.7.4 梅雨の晴れ間
鎌倉観光協会の調査では、一年で一番観光客の多い月はやはり1月ですが、二番目はなんと6月なのだそうです。
多くの観光地が梅雨で客足の遠のく6月、鎌倉は紫陽花を楽しむ人たちで今年も賑わいました。
ただ、今年は平年より雨が少ないことが影響したのか、早々と紫陽花の色が褪せてしまったように感じました。紫陽花の名所のひとつ、成就院に22日の日曜日に行ってみたのですが、今年は一輪も咲いていませんでした。
ところで紫陽花は花が終わったあとすぐに刈り取って整えるなど世話をしないと次の年に綺麗に咲かないそうで、花の季節が終わった後も気が抜けないのだそうです。

6月は紫陽花の他にもアヤメをはじめ色々な花がお寺の庭を彩っています。
北鎌倉の浄智寺では、たくさんのユキノシタが咲いていました。雨空でほの暗い谷戸の岩肌に白い花びらが舞うように伸びています。
ユキノシタは、その名の通り寒さに強く、雪の積もった下でも生育するといいます。その花びらを雪に例えたとも・・・梅雨の曇天の下では、その花の可憐な白さが際だちます。ロマンを感じさせる名前もあってか、印象に残る花です。
鎌倉には「雪ノ下」という地名がありますが、昔そのあたりにユキノシタがたくさん咲いていたからその名がついたとも言われています。

雨の多いこの季節は鬱陶しくもありますが、山も庭もあらゆる緑がいきいきと感じられる時でもあります。雲行きを気にしながら、ついつい散歩に足が向いてしまいます。

ほの暗い谷戸の岩肌に咲くユキノシタ

 
紫陽花に寄り添われてポストも嬉しそう
  
 
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